流されず逆らわず

コンピュータ関連のお仕事をしております。不惑を超えても惑い続ける男です。二児の父。

必ず見る


私には、欠かさずチェックするブログが2つある。梅田先生のブログと池田先生のブログだ。このお二方の書きっぷりは対照的であるがゆえに面白い。


梅田先生のブログはCnetで連載してた「英語で読むITトレンド」から拝読してます。梅田さんの文章は対談の中で語られているように、できるだけ自分の言葉で平易に書くことを心がけているという。知っている内容でも、「あっ、こういう説明の仕方があったか」とか、「こういう理解ができるのか」と新たな発見とともに、読んでいて心が温まり、前向きな気持ちになるのだ。


対して池田先生は、引用などを明らかにした上で、詳細に、だが核心を突いた鋭い文章で自説を展開し、ときに強く批評する。そして、ものすごくインテリな方なのだ。池田先生の文章を読んでいると、全く知らなかった新たな世界を発見し、背筋が伸びる気がする。


文章の違いについては、学者とコンサルタントというバックグラウンドの違いもあるだろうが、それよりも、社会人としての生き方のスタンスの違いが文章に表れているように思う。


それを説明するのに、まず私の過去を振り返る必要がある。私は1998年入社で社会人暦はもう10年目になる。縁があって、とある外資系のハードウェアベンダー系の会社に入社した。時はITバブル時代。入社した頃から、ビットバレーなる時代の波が訪れ、周りの人たちは猫も杓子も起業だベンチャーだという状態で、IT関連の事業が沸きに沸いていた。そんな時代は長く続くわけもなく、ドットコムバブルの終焉とともに淘汰されていった。そのような情勢の頃から、当然のように自分の将来のことを考えている。自分は社会人としてどんな方向に進んだらいいのだろうか、と。


そんな頃に池田先生のコラムに出会った。Hotwired Japanに連載されていた「ドット・コミュニズム」で、毎月欠かさず読んでいた。
池田先生は第13回 失業のすすめ でこんな事を書いている。

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日本では、エリートほど「ジェネラリスト」で専門知識に乏しいため、中核的な人材が官庁や銀行などの斜陽産業に閉じ込められやすい。顔の広さや調整能力といった会社人間としての技能は、会社を辞めると何の役にも立たないサンクコストだからである。しかし「今まで会社のために努力してきたのだから・・・」と未練を持っても、もはや会社が老後まで面倒を見てくれる保証はない。それどころか、会社人間ほど職を失った時つぶしがきかないので、失業したときのリスクは大きい。


自分の人生は、自分で守るしかない。一度、会社人生の「棚卸し」をして、進路を考え直してみてはどうだろうか。企業財務と同じく、将来の会社人生のキャッシュフローを客観的に評価し、代わりの人生(機会費用)と比較するのである。転職や起業によって自分の価値が最大化できるなら、今までの苦労は「不良資産」として償却すべきで、過去(サンクコスト)にこだわってリターンの見込めない人生に「追い貸し」してはいけない。

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もちろん自分はエリートではない(というか、こんな文章を書くのも恥ずかしいぐらい)のだが、自分の人生は自分で守るしかないという姿勢ははっきりと自覚している。池田先生は、価値を最大化できる道を進めと書いており、ここでスペシャリストになれと説いているように読める。


対して、梅田先生はどう書いているか。

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・たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰してものをみて全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人には、これからの時代に有利になってくる気がします。

・その一方で、ミクロに突きつめて深堀りしていくタイプの人は、けっこうリスクが高まる。いままでは、一つの世界でガーっとやっていくなかでメシが食いやすかった。でもこれからは例の羽生善治さんの「学習の高速道路論」で、それだけではなかなか難しくなる。(フューチャリスト宣言 第3章より引用)

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と、書いている。
共通するのは、自分を認めてもらうためにどんなことをしていくべきか・・・ということを真剣に考えること。どんな人になりたいか。今は、梅田先生が指し示す方向性を進んでみようと考えており、会社生活でも実行するように心がけている。


ともあれ、どんな時代になるか。未来を予想しながら、自分の将来像を、日常に埋没されず常に考えていたいものですなぁ。