日本代表になるには、名字を「中村」に変えるべきなのではないか
今年はサッカーワールドカップイヤーである。だからこそ考えたい。
サッカー日本代表になりやすい「名字」は何だろうか。
普通に考えれば、出場人数や通算キャップ数を集計し、統計的に最も有利な名字を割り出すべきである。こういう話は、統計的な数字を算出し、表を作って、冷静に結論を出すのが大人の態度だ。
実際、歴代の日本代表を見れば、遠藤、吉田、酒井、長友など、いかにも聞いたことのある選手の名字はいくつも存在する。
しかし、ここで私はあえて、数字だけでは届かない本質に踏み込みたい。
本当に重要なのはその名字を見た瞬間に「うわ、日本代表っぽいなー」と思うかどうか
ではないだろうか。この観点に立った瞬間、議論は一気にクリアになる。
結論から言おう。日本代表を目指すなら、名字は中村を選ぶべきである。
なぜ中村なのか...理由は単純だ。日本代表には、なぜか昔から中村がいる。
一人だけではない。ここが重要である。もし中村俊輔がこの世に存在しなければ、それは「たまたま中村姓の天才が一人いた」という話で終わる。
だが現実は違う。中村俊輔がいて、中村憲剛がいて、近年には中村敬斗もいる。地味に中村航輔もいる。気づくと、時代の節目節目に中村がいるのだ。
これを偶然と片づけてよいのだろうか。いや、よくない。
なぜならば、人間は繰り返し現れるものに意味を見出す生き物だからだ。たとえば、たまにコンビニで同じ店員さんに当たると「あ、この人よくいるな」と思う。3回続けば、もう常連の気配が出てくる。日本代表における中村も、それと同じである。何度も現れることで、「中村」という名字そのものが代表の風景に溶け込んでいるのだ。
しかも中村は、ただ“いる”だけではない。ちゃんと強い中村がいる。ここが非常に大きい。バックアッパーとしてベンチにいるだけでなく、しっかりと記憶に残る中村なのである。
特に中村俊輔。この存在は決定的だ。フリーキックを蹴る前から空気を変え、左足を振るだけで全国のテレビ前の姿勢を正させたあの男の名字が、中村なのだ。これは大きい。あまりにも大きい。ほぼ名字のブランドアンバサダーである。セルティック時代のチャンピオンズリーグでのフリーキックは今でも伝説として語られてるくらいだ。
さらに言えば、中村という名字には、サッカーのうまさを予感させる響きがある。
これはもう、かなり大事な話だ。名簿に「中村」とあったら、なんとなくボールが収まりそうではないか。神奈川県でサッカーやってて「中村」という名前だったらきっとおれは勝手に何かを想像してちびってしまうと思う。
だって、テクニックがあり、視野が広そうで、パスも上手そうで、司令塔感が満載な雰囲気が出てくる名字だからだ。そして想像力あふれるプレーをして、足元があって、局面を変えられそうな気がする。
そんなことを考えていたら、私は名字を「中村」に変えたくなってきた。それだけで、J3のどこかのチームにはワンチャンあるかもとか思ってしまうくらいだ。
もちろん、名字を中村に変えたところで、トラップはうまくならない。キック精度も上がらない。スプリント回数も増えない。ましてや監督から「おっ、中村か。じゃあ先発で」と言われることもまずない。役所の窓口で多少時間がかかるだけである。
しかし、それでも「中村化」には抗いがたい魅力がある。それは、代表っぽさを最短で装備できることだ。努力には時間がかかる。筋トレにも時間がかかるし戦術理解にも時間がかかる。体力やサッカー脳は短期間ではどうにもならない。
しかし、名字は、理論上は変えられる。つまり、実力の強化には年単位の歳月を要する一方で、名字の代表感だけは比較的短期で獲得可能なのである。なんなら名字を変えずに周囲に「俺、今日から中村だから中村って呼んで」というだけでいい。そうだ。わざわざ戸籍を変える必要もないのだ。
ここに私は、現代日本サッカー界が見落としてきた盲点を見る。日本代表に必要なのは、才能、努力、継続、判断力、戦術理解、フィジカル、経験、結果――
たしかにその通りだ。そんなことは誰でも知っている。
だが、それらは全部重い。人生そのものだ。一方で名字は名字である。「日本代表っぽい名字は?」と聞かれて、遠藤や吉田や長友ももちろん強いが、どこかで最後に前へ出てくるのは中村ではないか。ここ20年くらいは世代の中村がずっとそばにいる。数値の勝利ではなく印象の勝利である。
データサイエンスではなく、サッカーファンの脳内サジェスト機能がそう言っている。
以上より、本稿は一つの明確な結論に到達した。
日本代表における名字の価値は、単純な人数や通算キャップ数だけでは測れない。重要なのは、世代を超えて繰り返し現れ記憶に残り、その名字を見た瞬間に日本代表らしさを想起させる名字としての格である。
その条件を最も高い水準で満たしているのが、中村だ。
中村俊輔がいて、中村憲剛がいて、そして新しい世代にもきっと中村が現れる。この連続性こそが、中村という名字を単なる一つの姓ではなく、日本代表の歴史の中で反復される記号へと押し上げている。
したがって、代表入りの可能性を少しでも高めたいのであれば、選択肢は一つしかない。名字を中村にすることだ。ボールを使った練習は後でよい。走り込みもその後でよい。戦術理解も、対人守備も、食事管理も、睡眠も、いったん後回しでよい。
サッカー日本代表の選手になりたいなら、まずは中村になることだ。話はそれからである。