流されず逆らわず

コンピュータ関連のお仕事をしております。不惑を超えても惑い続ける男です。二児の父。

ちょっと俺のことを書いてみる

今勤めている会社で昇進試験を受けており、昔を振り返っていたらふと昔を思い出してしまったので今思っていることを正直に書いてみる。


私は1975年産まれの36歳。出身は神奈川県で今は某国産のITベンダーで働いている。どこにでもいるようなやつかどうかは知らんが、普通の男と自覚しているし、これまでも普通の人生を歩んできた。


私が大学生をすごしたのは1994年から1998年。不況の真っ只中に入学し、誘われるままにテニスサークルに入った。同じ付属高校に通っていたやつと偶然同じクラスになり、学生時代は話したことなかったのに話しているうちにいつの間にか意気投合し、気づいたらサークルに入っていた。
テニスサークルに入ったらモテるんだろうかと青臭い下心どっさりの煩悩だらけだったような気がする。まぁ、結局モテたとは言い難いのであまり書きたくはないけど、とりあえず彼女はできた。


学生時代はこれと言って努力することも無く、バイトもサークルもそこそこに過ごした。勉強だけは殆どしなかった。卒業する頃には景気も良くなってるだろと軽い気持ちで勉強せずに何も考えずにアホのまま入学後3年間を過ごした。


さすがに就職活動をする段になって準備が無さ過ぎてヤバいと思い始め、就職活動は比較的ちゃんとやった。私が就職活動をしているころはインターネットの採用が本格的でなかったので、葉書をとにかく出しまくって会社説明会に参加しまくった。


資料請求の葉書は一流大学に忍び込んで入手した「日本のビッグビジネス」(一流校じゃないと入手できない分厚い会社説明資料)を使った。ゼミの先輩が起業していて、起業つながりで日本の最高学府の人から仕入れた情報を後輩の私たちに伝授してくれたのだ。効果はてきめんだった。普通ならお声がかからない会社から説明資料が届く届く。後になって同じ大学の友達にカラクリを説明したが、彼にとってこの情報はどうやら時遅しだったようだ。


初めて内定をもらったのは外資系のITベンダー。一流会社にしか配られない会社説明資料についていた葉書の束にあった1社だ。そもそも知らない会社だったので、手当たりしだい葉書を投函したうちの1つだったのだろう。そのうちの1つの会社から、大手ではないけど中堅どころの某外資系ITベンダーに運良く採用通知をもらったのだ。私は英語が超苦手で正直外資系はムリって思っていたのだが、偶然、会社説明会の日に人身事故があって電車が遅れたために受講できない人が続出し、救済措置がなかったため合格することができた。
当日、私は途中駅からタクシーを強引に捕まえて会社説明会にギリギリ間に合ったのだが、あまりにもテンパりすぎてタクシーを捕まえるために他の一般車に轢かれそうになったけど、ギリギリで轢かれなかった。その運転手からは怒鳴られたけど、轢かれなかったことに感謝している。もしかしたら運が悪ければ轢かれてしまって就職活動を続けることも難しかったかもしれない。


私は1998年に卒業し、社会人になった。複数社から内定をいただいたけど、入社したのは最初に採用通知をもらった外資系のITベンダー。会社の理念になんとなくひかれ、入社した。ちなみに入社3ヶ月前に米国の親会社が買収されてしまい、慌てふためいて人事に電話したが、人事担当からも「寝耳に水」と言われ、どうでもいいやと思い、流れに身をゆだねることにした。時は金融ビッグバンと言われていた1998年。山一證券がつぶれて採用取消などが社会問題になった年。四大証券が大変なことになっていたので、外資系の会社に勤める前から手厚い洗礼を受けてしまったぁーと思い半分諦めの境地だったが、無事に入社できた。


入社してからは、ありえない日々だった。自分の教育担当のみならず、自分の上司である課長、部長、その上司、プロジェクトマネージャ、担当SEなどが次々と辞めていく中で、プロジェクトを担当するのは自分一人とその他新メンバーだらけという状態になった。入社一年目からトラブルプロジェクトに配属されることになり、損害賠償案件を担当させられ、大変な目にあった。


新しく上司になった人は他プロジェクトの掛け持ちの女性マネージャ。第一印象は「押しが強すぎる保険のオバさん」。とにかくトップコールを繰り返して売りまくるのはいいけど、売り方が強引で、後で発生するトラブルは後任に任せて次を売りにいくという焼畑農業タイプ。(後に畑違いの保険会社に転職し、全国レベルの表彰を受けている方なので、営業力はすごかったのだと思う)
共に成長していくという意識は皆無で尻拭いを散々させられて、毎日のように怒られまくった。ちょっと自分でも自覚できるぐらいに精神に支障をきたし始めた頃に、薄ぼんやりと公務員になろうか、第二新卒狙うか、でも不況だしどうしようと悶々としてるうち、隣の部に異動になった。隣の部長が見るに見かねて引き取ったというのが実情らしいのだが、本当に有難かった。


異動した先では、お客様も社内も神様のように思えた。顧客との関係は良好、お客様もおっとりした社風で、仕事をちゃんとやれば認めてくれ、若造にもちゃんと接してくれる。今考えれば普通だったが、トラブル対応で問題を抱えてる客とそうじゃない客の違いがこれほど違うとは思わなかった。私を引き取ってくれた上司は順調に昇進した。私は待遇に不満を抱くこともなく、長い年月を過ごした。成績優秀者として表彰もされたしご褒美ももらった。


途中、仕事で色々なトラブルがあったり、無理難題を要求されて会社としても解が無いという中で腐ってしまいそうになったり、もしかしたら交通事故にあったらこの極限状態から開放されるのかなぁなどと追い詰められたりして悩んだりして、将来を考えた。
結果、その外資系での次のキャリアパス(というか人生設計)がまったくイメージできなかったため、自分の経験を活かし認めてくれる会社に転職することにした。新卒の時には入社試験で落とされた会社だ。学生当時は他の同期メンバーの足元にもおよばなかったハズの俺が、いまでは精鋭と肩を並べるくらいの土俵に立つことができた。いろいろあったけど、いまのところ幸福な家庭を築くことができているのは、本当に偶然が重なり合った結果で感謝すべきことなんだろうって思う。


こんなことを書いたのは他でもない。人は偶然によって幸せになってヨロコビを感じたり、不幸になって悩んだりするんだろうなってこと。
おそらく今後も上がったり落ちたりするんだろう。
だけど、私は経験から禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬ってことってことを実感することができた。このことが私の人生の一番の財産のような気がしている。

そう。今後もこの人生は続くんだ。そう、続くんだ。そう考える今日この頃。