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流されず逆らわず

コンピュータ関連のお仕事をしております。不惑を超えても惑い続ける男です。二児の父。

埋められない世代間格差


世代間格差は埋まらないのではないか。これからもずっと・・・。。そう思うことがある。
まず、これを読んでもらいたい。

今の若者はなぜ中途半端なもので満足するのか?
50代男性です。趣味は、クルマ、写真、音楽鑑賞、旅行です。
持ち物にはこだわりがあります。最近の若者(二人の息子も含め)は、
(1)クルマ・・・ほとんど興味なし。免許年齢でないがレンタカーで充分といいます。
私は絶対にミニバンはいやです。
(2)カメラ・・・写るんですや、携帯カメラで充分と言います。(私にはいずれの画質も耐えられない。)
私は中学生から一眼レフ主体。最近は目的に応じコンパクトデジカメ(1000万画素級)を併用です。
(3)音楽鑑賞・・さすがにデジタルオーディオを否定するつもりはありません。
しかしながらMDや、MP3などは、明らかに音がおかしいと私は気づきます。
(繊細な音は出ていない。昔のカセットの方がましに聞こえることがあります。
ナカミチ社製品を大切に使っています。…いつまで持つか?)安物のコンポで充分と言います。
(私にはドンシャリ音で不快極まりない音です。)

(中略)

価値観は多様でしょうが、なぜこんなに「夢」がないのでしょうか?

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4129932.html?ans_count_asc=20

おそらく、この文章を読んだ各世代によって感じることが大きく異なるだろう。

・50代は「そう思う、まさにそのとおり」と感じ、
・40代は「最近は夢が描きにくい世の中だからねぇ」と答え
・30代は「っていうか、それ本気で言ってる?」と不愉快になり
・20代は「バカなの?」と憤り
・10代は「ハァ!?」と言って理解に苦しむかもしれない


これが世代間格差だと思う。この感覚のズレは、それぞれの世代が過ごした時代を反映しているのは間違いない。各世代の回答はそれぞれにとって真実だ。
おそらく、この質問者は知らないのだろう。今の若者がどれだけの収入を得ていて、どんな生活をして、どれだけ将来に不安を感じているかを。


そして、この質問者は目をそむけているのであろう。自分たちの世代が崩壊しつつある終身雇用制度を信じる最後の世代であり、自分たちの収入がいかに恵まれているのかを、そして自分たちの今の収入が下の世代を犠牲にした産物であるのかを。また、今日の生活がかかっている以上、若者にとってはより切実な問題だ。事実、この質問に対し20代のある男性が「正直、腹が立つ質問です」と答えている。


50代以上の方々はこう反論するかもしれない。


「俺のときも決して裕福といえない時代をすごして来た。けど、それでも背伸びをしてこそ頑張れるんじゃないか」


けど、その背伸びは明るい未来を思い描いてこその話だ。今の問題は、若者が明るい未来を思い描けない事こそが問題なのではないか。その思いを綴ってみようと思う。


世代間格差を考えることになったきっかけ

前置きが長くなってしまったが、私が最近体験した世代間格差の話をしよう。先日、ある後輩から相談を持ちかけられた。内容は、相談した上司と話が全くかみ合わなかったという話。
簡単に言うと、社会人として生活し始めて、仕事も一通り覚えて一人で仕事をある程度任されて慣れてきた。30歳という節目を前にして、将来に不安を感じて今後どうするかを上司に相談したかったのに、ひどい回答だったので幻滅しましたって内容。


その後輩が将来に対する不安に感じていたため、上司に相談した。すると以下のようなことを言われたらしい。


「おまえの世代は背伸びをしない。だからだめなんだ」
「昔は無理して外車を買って、夜中あそびまわったものだ」
「なぜおまえは夢をみない。物欲がないのか」
「まずは贅沢をしろ!収入は後からついてくる」
「苦しい時を乗り越えれば、あとでよかったと思えるときが必ずくる」


いくつか反論したようだがまったく話がかみ合わず、その後輩は半ば白けて帰宅したようだ。後輩の言葉を借りると


「なんか薄っぺらいんですよねー。だって、すべてがモノに帰結するんだもん。バブル世代はこれだから嫌い」


こういわれてドキッとする人はバブル世代に多いと思う。職場の先輩が本当に伝えたい本質がそこには無いと知っていながらも、後輩からすると納得感はゼロだ。そればかりでなく、今後私の後輩はその先輩に相談することもなくなってしまうような気がする。なにしろ、何一つ思いを共有できないのだから。ちなみにこの後輩の話は、多くの人が聞いたことがある大企業の正社員のお話です。ただ、一企業の話ではなく、日本社会の全体がこんな感じで世代間格差に喘いでいる気がする。

世代間の感覚のズレ

身の丈以上のものを欲し、常に背伸びをして生活をすれば、結果は後からついてくる・・・そう語る人はバブル世代に多いような気がする。目標をもって頑張ることが大事ということがわかる。けど、多くはその目標の多くが消費行動と直結しているのだ。すごく楽しいこと=たくさんお金を使うことと考えてる上の世代がいかに多いことか。。はっきり言って、私と同じ世代で価値観を共有できるのは、報酬高い企業に勤める一握りの人たちだけだと思う。


あともう1点気になった事がある。
「いつか夜が明ける日が来ると信じ続けなさい。夜明けの後は目くるめくパラダイスが待っている!」
こんなことを言われて、素直に信じて頑張れる20代の若者がどれだけいるだろう?


だから、その後輩はこう答える。
「私は入社してから、景気はずっと悪いままです。入社してもうすぐ10年近くになるけど明るい未来なんて描けない。背伸びをして消費することなんてできませんよ」
そう物申したところ、上司からの反論は無かったという。


確かに思い返してみると、似たような経験がある。一回り以上の年齢が離れた方と話をすると、どうしても将来に対する考えのギャップが気になってしまし、そんな経験をしている人はは私と同じ世代(R35)にも多いことだろうし、30歳以下の世代はもっと切迫感を持って日々感じていることだろう。私の年齢でも、バブル世代の方と話してると、何で車買わないのとか、もっと高いマンション買えばいいじゃん!?とか、なんでそんなに金無いの?等の指摘をされることがある。そして、正直に年収を話し合うとお互いにびっくりする。そりゃ、バンバン昇給した前世代の人と自分の世代を同じように比較するのは間違っているかもしれないが、やっぱり素でビックリされる。


「え!?。、そんなに給料少ないの・・・!!??」と。


リアルにそんな反応をされると、正直言ってげんなりする。ジェネレーションギャップといえばそれまでだが、同じ会社に勤めていてこれだから、社会で大きな差を感じるのはしょうがない。これじゃ上の世代の言うことなんて聞きたくなくなるのも当然かもしれないと悟りの境地に達する。。根本的な感覚がずれているのだ。だから、下の世代は上の世代を相手にしていない。基本的な考え方が根本的にずれてしまっている。これは違和感というレベルではなく、埋められないほどの大きな大きな「格差」として感じることができる。

なぜ感覚がずれているのか

なぜ、将来に対しての感覚のズレてしまうのか。それは、景気がいい時代を経験したか否かの差が大きいと思う。知らないものはイメージできないんだからしょうがない。バブルが弾けたころにも中学生だった私の後輩は、バブルはおろか好景気といわれる時期を実感できたことなど一度もないのだから。


国も企業も成長期であれば苦しいときも多いが、同時に将来のリターンを得られる希望を持てる。けど、少なくとも私の後輩は、いい時を経験していないので、将来を考えても改善の見込みがなく明るい未来を描けないのだ。好景気を経験した人は、将来いつか以前のように戻るという期待を胸に頑張ることができるかもしれない。けど、経験したことがなく将来をイメージできない若手にとっては「机上の空論」でしかない。だから、ズレてしまうのだ。

今の日本=「満員電車」論

後輩の言葉を借りると、日本の社会は満員電車と同じなのかもしれない。「幸せ」という目的を目指す客が乗車しているが、既に席は埋まっている。そればかりじゃなく、満員状態のスシづめの状態ゆえに立ってる客のほうが多い。立ってる客は多くを負担する。たしかに、座っている人もキツい思いはするだろうが、その辛さは立っている人の比ではない。車両のキャパシティも限られてくるけど、客はどんどん乗ってくる。


座っている人はずっと座り続けることができるけど、立ってる人の多くは立ったままだ。途中下車を余儀なくされる人もいるが、座ってる人が座席を譲ることはまれで座っている人は座り続けるのは当然と思っている。経済的に余裕がある人は、満員電車に乗らずにグリーン車に乗って座ることができるけど、そんな人はまれだ。もともと座席数は限られていたが、それほど込んでいなかった社内は立っているひとにとってもそれなりに我慢できる環境だった。けど、今はたっている乗客みんなが辛い思いをしている。後から乗った乗客ほど出口近くの一番混んだエリアに居て、大変な思いをしている。


座席に座ってる人は言うだろう
「座席に座るのも競争があったんだよ。それに俺は遠くから乗車している。だからこのまま座り続けることは当然だ」
確かにそのとおりで間違いではない。だから、是正することも難しい。こんな感じが今の日本の閉塞感につながっているのかもしれない。

じゃぁどうしたらいいのだろう

では、この混雑した車両をいかに皆にとって快適にしていくか?それが今後の日本の課題かもしれない。


ひとつの案としては、座席を廃止してみるという選択肢があるだろう。もちろん、社会的弱者への配慮は必要だが、既得権を極力撤廃するというのが望ましい気がする。皆が痛みを共有するには、この方法が一番だろう。*1


もう1つの案としては、座席を交代で座れるような仕組みをつくることだ。
座席には、その電車への貢献度に応じて長い時間座れるような仕組みを構築することが望まれる。
*2


いずれにしても、今の仕組みを大改革(というかリセット)しないといけないのではないか・・・そう思ったりするのである。

*1:
(※では、今の日本の社会における実質的な「座席の廃止」って何?って話だが、ここについては私の個人的な考えがまとまっていないので、後日書くことにする)

*2:
(※では、今の日本の社会における実質的な「貢献度を高める」って何?って話だが、まとまっていない。日本の社会に対する貢献度を高めるのは、スキルが高く生産性の高い就労者が適切な職にありつくという事は疑いがないと思うので、なんらかの形で労働市場の流動化を高める仕組みが必要になるのだろう。まぁ、年齢にかかわらずスキルの高い人がいい職につくのは当然のような気がするって、当たり前な結論ですが)